みなさんこんにちは、ハル次郎です。
僕は先日、SEKAI NO OWARI の楽曲「RPG」を久しぶりに聴いていました。そこでとある歌詞が気になり、それは人生において大切なことではないかと思いました。
この記事では SEKAI NO OWARI の楽曲「RPG」から僕が感じた人生において大切なことを書きます。
先生の提案を受け入れなかった
僕が高校2年生の頃、担任の先生との二者面談がありました。内容は進路の話。
模試の結果を参考に先生は「英文学科に進学したらどう?」と僕に勧めてきました。理由は単純明快、他の科目に比べて英語の偏差値が高かったためです。
僕は先生に「英語は手段なので嫌です」と言い、 その提案を受け入れませんでした。英語は好きですが、先生の提案は何か違うと思い拒否しました。
英語の成績が他よりいいから英文学科に進学する。そのような単純な考えには納得できませんでした。
方法と目的
SEKAI NO OWARI の「RPG」にはこのような歌詞があります。
「方法」という悪魔にとり憑かれないで
SEKAI NO OWARI「RPG」
「目的」という大事なものを思い出して
作詞:Saori, Fukase
「RPG」のこの歌詞を最近ふと聴いたときに、あのとき僕が思ったのはこれだったのかもと思いました。
英語を学ぶというのは「外国の人と話したい!」「英語で書かれた本を読みたい!」「海外で活躍したい!」などの目的があり、 それを叶えるための方法です。
英語は何かを叶えるための「方法」なのに、英語を学ぶこと自体が「目的」になってしまうのはズレています。
当時の僕に「英語で〇〇したい」という強い目的はないのに英文科に進むというのは、英語を学ぶという「方法」が「目的」になってしまいます。
人生において大切なのは目的
「方法」と「目的」を区別しないで行動している人が多いように感じます。例えば、お買い物のポイントを集めること自体が「目的」になってしまう人など。
お得に買い物することが「目的」なのに、ポイント集めが「目的」になって必要ないものを買ってしまう。 本来ポイント集めは「方法」であるべきです。
人生において大切なのは「目的」です。「方法」はそれを達成する手段です。
もちろん一概にはいえない状況もあるかもしれませんが、「目的」のために「方法」があることを意識するのは人生において大切なことだと思います。